遥かなる君の声
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     〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          



 神の座という異名さえ頂く、峻烈な山岳地帯。厳格で神聖なるアケメネイ。到着したばかりの彼らの眼下に望めるは、そんなアケメネイの聖地を守る“防人
(さきもり)”たちの住まう隠れ里。我を忘れてか、真っ先に…飛び出すように駆け降りて行った葉柱の姿が、ボードによる加速もあってどんどん小さくなってゆくが、それがなかなか入り口に辿り着かないところを見ると、
「辺り一面、純白の雪野原だから遠近感が取りにくいが。」
「結構遠いよね。」
 彼らが昨日襲われたのと、恐らくは同じ敵からの強襲を受けたらしき惨状が眼下に望めるものの。そやつらが此処からも離れて遠いと嗅ぎ取れるが故に、蛭魔と桜庭は、里自体への見解を述べ合うまでには落ち着いたらしい。今 彼らが立っている位置から距離があることを思えば、随分と立派で大きな集落であることも察せられるものの、
「思ってたよりは小さいな。」
 聖地に間近い影響でか、まだ瑞鳥・スノウ・ハミングの姿でいるカメちゃんを、防寒用の厚手のマントを羽織った肩に留まらせていた蛭魔がぽつりと呟いたが、
「そぉお?」
 桜庭はさして不審そうではない。
「千年近い歴史があるんじゃねぇかってほど、古い一族だぜ? 数十人とか数百人程度ではその血統も続くまいに。」
「ああ、それか。」
 金髪の秘蔵っ子さんが付け足したお言葉へも、さして動じず、やんわりと笑って見せてやり、
「ここにだけ住まわってる訳じゃないのかもだよ?」
 そんな言いようをする。途端に“むむっ?”と眉を寄せた蛭魔であり、
「…聖地を守ってる奴らなのにか?」
「うん。だからこそ、一点に全員が集まってるのは不自然だよ。何かあったら一気に全滅しちゃうしね。」
 聖地の周辺の何カ所に、分家を配してそれぞれで集落を作ってるんじゃないのかな。
「そうでもしなきゃ、全員の気配なんてなりゃ相当なもんだろ? あっと言う間に所在が外部へ知れちゃうじゃない。」
「…だろうよな。」
 成程、そういう一足飛びの理屈を自分の中でとうに構築しておられましたかと、さすが、長生きしている魔神様だよなとばかり。金髪痩躯の悪魔、もとえ、黒魔導師様がむっかりと表情を尖らせたものの、
「…あ、ひゃあっ!」
 雪に足を取られては転びかかるセナ王子の、短い悲鳴にハッと我に返ると、つないで支えていた手に力を込めて、倒れ込まないようにと引っ張ってやる。
「すいません。」
 確かに、なだらかな丘程度で大した傾斜じゃあないとはいえ、慣れない身には足の突っ張りようが体得できぬ内は、結構骨の折れそな純白のスロープ。登るならともかく降りるとなると、これがなかなかに大変な作業でもあって。
「俺らも滑り降りるか?」
「でも道具がないよ?」
 咒が使えればあっと言う間なんだけれど、葉柱があんな風に滑り降りて行ったくらいだし…と顔を見合わせていたところ、

  ――― きけぇい…っ。

 耳元近くでいきなり鳴いたスノウ・ハミングに、蛭魔がびっくりして肩を跳ね上げたが、その慄
おののきが消えぬ間にも、
「…おお。」
「はや…。」
 3人まとめて、さっきまで上から見下ろしていた集落を囲う柵の間近へ移動していたから、
「…何だよ。咒が使えたのか。」
 そういう土地だという先入観があったのと、これこそ聖域であるがゆえの軽度の結界作用が働いたせい。そこを“神殿”だとか“お社”だとか言われると、信者でなくとも何となく、畏れ多くて狼藉は憚(はばか)られたりすることがある。そんな“先入観”から咒は使えまいと思い込んでたその上へ、強制的なほど強いものではないながら、彼らの意識へ咒の発動を避けさせるような波動や働きかけが届いていたらしく、
「偉そうに笑ってんじゃねぇの。」
 長い首と細いクチバシを“ぐりん”と空へ振り立てては、自慢げに…も見えかねないよな鳴き方で“こおこお”という声を上げてるカメちゃんへ。蛭魔が少々忌ま忌ましげに、八つ当たりの声をかければ、

  「光の公主様と、導師様方ですね?」

 少し先、柵の中からのお声がかかった。白い雪に取り巻かれているとはいえ、陽も沈みかかっている頃合いのこと、よく見通せないなと目許を眇めると、ぽうっと素早く幾本かの松明に炎が灯される。
「先程、先んじて戻られましたルイ様が、皆様をお通しせよと言い置かれました。」
 見やれば、襟ぐりや袖口に使い込まれた毛皮のついた外套に、バックスキンの分厚いミトン、耳からおとがいまでもを覆うような帽子にひざまで高いブーツ等々。厳冬の装備に身を固めた、屈強そうな男衆が数人ほど立っており、松明を手に掲げた先頭の男が身を脇へと寄せて道を空けると、その後ろにいた面々が機敏な動作にて雪の上へ片膝をついて跪(ひざまづ)く。

  「我らが太守、陽白の光の公主様。ようこそ、今世にて降臨なされました。」

 型通りと言えばそれまでなれど、焼き打ちなどという物騒な襲撃に遭ったばかりの、修羅場も同然な情況だというのに、それでも礼を尽くしてのこと、この素早さで迎えにと寄越された人々であるらしく。
“この人たちは…。”
 その始まりの“先祖”からのずっと、セナを…光の公主の出現を待って待って、こんな山奥に一生を縛られることを、陽が昇って降りるような当たり前さで、自らの“使命”としていたのだなと強く感じたセナであり、
「ささ。族長・葉柱様の屋敷まで、我らが案内いたしましょうぞ。」
 小さな公主様には、お見苦しいほど散らかした惨状。こんな中でまろばれて、大切な御身が穢れでもしたら大変だと思われたか、数人いた面々が前に脇に後ろにと、護衛さながらに彼ら3人を取り巻いて、集落の中へと促して見せ。懐かしい空気に安心してか、カメちゃんもセナの腕へと移ってくると、
「あっ。」
 ぽんっと弾けて手のりのカナリアほどの小鳥になった。ぴちゅくちゅ・ちゅくちゅく、愛らしく鳴いては、小首を傾げて3人を見やるので、魔導師様たちも苦笑半分、
「まあ、こんな取っ掛かりでぐずぐずしていても しようがないし。」
 何だか仰々しい扱いにあい、面食らっていたのも束の間のこと。彼らの側とて用向きがあって此処へと訪ね来たのだと思い出し、案内に従って聖地の隠れ里へ、その一歩を踏み入れたのであった。






            ◇



 里を囲う柵の傍らには、番人らしき男衆が立っていて、それが葉柱へ…彼らがどれほどの打撃を受けたのかを悟らせた。此処は首長一家が住まう本家の里。屋敷を中心に、里全体に強い封印の障壁結界が張られているので、本来は見張りなど不要なものだったのに。万が一にも此処を知ってやって来た、若しくは通りすがりの誰ぞが足を運ぶ気配があったとしても、察知をしてから立ち上がり、外界との境へ運んで十分に間に合うような、空間をねじって立ちあげられたそれは強靭な“合
ごう”の封印だったから。そこにわざわざ張りついて、目を光らせている必要なんてなかった筈だのに。
“それほどに…。”
 直視での警戒を必要と思うほど、皆がよもやの再襲撃を恐れている証し。現に、自分が正面のなだらかな丘から真っ直ぐ滑り降りて来たのへも、俊敏な警戒を見せ、手にしていた槍を体の前へと構えて見せたほどで。…だが、
「………ルイ、様ですか?」
 陽も落ちかかった頃合いの薄暗がりだとはいえ。非常事態の“張り番”を任されるほどの男衆ともなれば。主家の息子だった葉柱へも顔見知りなほど、頼もしき腕自慢であったようで。薄闇を透かし見、こちらを伺うように掛けて来た声へ、滑って来た簡易のボードから降りがてら、ああと頷けば。そのまま槍を放り出して駆け寄ってくる。
「ルイ様っ!」
 血統によるそれはそれは固い結束の下、長年の統率調和を揺るぎなく保てたのは、その主家の者たちが、代々優れた首長を輩出して来たからで。圧政で締めるでなし、さりとて多勢を相手に緩く甘く流されるでなし。威容と誇りをもって人々の模範となりつつも、鷹揚寛大な磊落さと懐ろの深さでもって、一族の苛酷な使命を“試練”ではなく“お務め”じゃと宥め。時に荒れる自然の猛威にも、その強き咒力で里を守り通した、頼もしい守護のお館様がた。なればこそ、主家の子らもまた、娘であろうが末子であろうが、里の皆から可愛がられ大事にされ。足掛け2年もの不在をなした末子でも、その姿、しっかり覚えていた彼であったらしく。
「ルイ様、ようお帰り下さった…。」
 雪の残る中、まろぶように駆け寄って来た彼へ、何がどうしての慌てぶりかは言わずとも分かると頷いて、
「被害はどの程度なんだ? よもや…。」
「幸い、死んだ者はおりません。」
 それだけが“幸い”と、そう言いたげにがっくりと首を落とし、
「ですが、あまりに急なこと。昼下がりにいきなり広場の櫓へ火柱が立ったものですけぇ、何が起きたか判らんかった者が多く。浮足立っての混乱のせいもあり、延焼を広げてしまい、重い怪我人も多数出しました。」
 それから、と。男は声を低めて、

 「本家への襲撃がかかりました。」
 「………ああ。」

 混乱を避けるため極秘にされていることなのだろうに、下界から帰ったばかりの自分が薄々知っていたのが、彼には不審だったのか。おやと息を止めた気配があったのだが、
「これは内密にしとって下さい。お館様からの厳命ですきに。」
「ああ。」
 それこそ、再襲撃を恐れる人々が恐慌状態になっての混乱が起こりかねないからという配慮なのだろう。それは承知と頷いてから、
「…親父は?」
 我がことで恐縮だが、やはり一番に心配したこと。この残滓から葉柱にも想起できた心当たり。あの連中による襲撃ならば、そうそうあっさりとしたものではなかったのではと、もっとの最悪を覚悟したものの、
「お館様も奥様も大事はなかです。」
 はっきりとした返答のあっけなさには、それでいい筈なのについつい…肩透かしを感じたほど。とはいえ、
「ですが、若様が…。」
「…っ!」
 次の当主、つまりは兄のことだと、今度こそはハッとした葉柱へ、男は済まなさそうな顔になってこう告げた。
「広場に出んしゃり、逃げ惑う子供らを庇って、崩れて来た櫓を支えんなさって。」
 それでの火傷や大怪我を負われましたと、哀しげに言うのだが。正直言って、それだけか?と、やっぱり何かしら足りないものを感じた葉柱であり、

  “…下界から此処を察知し、合
ごうの結界を破っただけでも凄まじくはあるが。”

 そのくらいは容易い、咒の扱いには長けていた奴らだと先んじて知っているせいか、なれば思ったよりは軽く済んだ被害だというのにも関わらず、無性に何かが引っ掛かってしようがない。強いて言うなら、中途半端さという感触だろうか。何をしに来た“奴ら”なのかはまだ不明だが、あれほどの手練れたちなれば誰にも気づかれずの行動だって取れように。選りにも選って火を放ってゆくとはまた派手なこと。対処によっては全滅さえ免れられない仕業であり、犯行声明にも近い派手なことをして去った割に…死者は出てはいない生ぬるさ。
「ルイ様?」
 血相を変えて飛び込んで来られたものが、あまりに驚きが過ぎたせいなのか、表情こそ難しいそれながら、言葉もないままの沈思黙考に入られたものだから。あの血気盛んで腕白だったルイさまには珍しいことだなとでも思ったか、張り番だった男が心配して声を掛けてくるのへ、
「…っ。ああ、すまない。」
 そうだ、考え込んでいる場合ではなかったと。それこそ我に返って頭を上げる。命に別条はないとは言え、怪我をした者もいれば住処を失った者もいよう。こんな惨事に遭った故郷を前に、のんびり固まっている場合ではない。気を取り直すと、張り番の男衆へと告げたのが、
「すぐ後から、連れが来る。」
 親父から言われて探し当てた金のカナリアと、それから、我らが太守・光の公主様に魔導師殿という3人連れだ。スノウ・ハミングのカメも連れているのを証しとし、中へと…本家へと案内してやってくれ…という、ちょっとした伝言だったのだが、

  「ひ、光の公主様ですとっ!!」
  「? ああ。」

 何をそんなに、声を裏返してまで驚くかなと。こっちまで驚いてしまった葉柱だったが。そりゃあねぇ。あなたにとっては、ずっと間近にいた、親しいおチビちゃんという感覚になっている相手でも、此処の方々にしてみれば、永劫待ち続けた伝説の存在。
「このような時にお越しとは…まさかまさか。この惨事は、我らが不行状へのお怒りか何かだということなのでしょうか?」
 素晴らしき奇跡と喜ぶどころか、何かしら罰が当たったか、それとも、
「それとも、あのくらいは難なく避けられずしてどうするかという、公主様からの我らへの試練だったのでしょうか?」
 だとすれば、至らぬ様をお見せすることとなりますがどうしましょうかと、慌てふためく彼を見て、
“…そんな大層な存在でもないのだがな。”
 むしろ我らの方が、伝説のもの扱いを受けているのにな、と。思わぬところで戸惑いを覚えて、言葉を探した葉柱だったが、
「そんなに構えずともいいぞ? 何せ、まだまだ生まれたてに等しい、そりゃあ幼き御方であらせられるからな。」
 宥めるような言葉を掛けてやり、落ち着けよ〜〜〜との声を残して。その場から中へ、懐かしき故郷へと足を運んだ葉柱だった。



 ざかざかと急ぎ足で歩いていたつもりでも、次々に目に入る惨状にはついつい注意が留まったせいでか、本家までの道程の途中で後から来たセナらに追いつかれた。
「お前なぁ。簡単な白魔法ならば使えると、そのくらいは言い置いてけ。」
「ああ、すまんすまん。」
 飄々として見せていても、やはり内心ではかなりの動転状態にあった彼だったのだろう。すんなりと“すまんな許せ”と言われては、それ以上からんでもしょうがない。此処までを案内してくれた方々には、葉柱が後を引き受けるからと言って持ち場へ戻ってもらい、里の奥向きへと歩みを進める。さして日が経ってはいない惨劇の後を、黙々と片付けていたのだろう人々が、こちらへと気づいて顔を上げ、

  「…ルイ様じゃ。」
  「ルイ様っ。」

 気持ちの上での助けを求めるかのように、皆が口々に声をかけて来る。現状が判らない葉柱としては、こちらもまた気が急いてしようがないのか、会釈以上の応対はしかねている模様だったが、
「ルイッ!」
 いきなりの呼び捨てで声を掛けて来た者があり、
「…メグか?」
 葉柱の方からも名指しだったところをみると、親類か、それに準ずる近しい者か、そんな不遜が許されている立場の人物であるらしい。十分に大人びた嫋やかな面差しをしながら、凛々しい態度に、きびきびと冴えた所作がまた、切れのいい。いかにも動き惜しみをしない、闊達そうな若い女性であり。葉柱から家族は無事かと問われて、何とか頷いたものの、
「命を落とした者や容態の定まらないほどもの大怪我をした者はいないわ。ただ…。」
「ただ?」
「斗影様が…燃え落ちた櫓の主柱の下敷きになって…。」
 こらえていた涙が再び込み上げて来たのだろう。声がたわんで、表情が歪む。
「わたし、私を庇って下さって………。」
 大切な人。ただ怪我を負っただけでも、怖くて不安で堪らないものなのに。絶対絶命の危地へと飛び込んで来て、命をかざして助けてくれた人。大切な人だから、その身を大事にして無事でいてほしいのに。だからこそ、怪我をしたその人が心配で心配で居たたまれない彼女であるらしく。
「メグ…。」
 そんな涙をあふれさせるその人を、そっと宥めるように腕の中へと抱いてやる葉柱で。後で訊いたら、斗影というのは葉柱の兄のこと。彼女はその許婚であったらしいのだが、

  「………。」

 セナの表情が硬くなる。
『セナ様。』
 耳にはまだ、その声の響きや温みさえ残っている、あの人の切なげな苦しげな呼びかけ。目の前にいる、それは無防備なセナを攫えと命じた声と、そんな連中に一時とはいえ意志を封じられていた彼と。そんな自分がセナへと何をするかが判らなかったから、だから…セナを突き放すようにして再び連れ去られてしまった人。大切な人が盾になってくれた、庇って下さったその切なさや痛みは重々判るから。胸が痛くて堪らない。

  ――― 自分が力不足であったがために。
       あなただけなら無事だったものを。

 そうと思うと…庇われた自分が情けなくて、哀しくて。光の公主であることや、王族の一員であることが、一体なんだというのだろうか。あんなに素晴らしい人を犠牲にするだけの価値があるというのだろうか。王城で最強の騎士様であり、立ち居振る舞いも謙虚な言動、どれを取っても作法の行き届いた、それは素晴らしい方だった。そんな人格的なことのみならず、懐ろ深くてお優しい方でもあって。多少は…不器用で口数の少ない方ながら、それでも、生真面目に仕えて下さるその真摯さと、包み込むようにいて下さる温かさに、いつだって自分はとっても救われていた。それなのに………。
「………。」
 表情を硬くすると、セナもまた、そのままその場で立ち尽くしてしまう。力のない者はどうしたらいい? そんな者は、結句、誰かの足手まといになるだけだから、素晴らしき方の負担になるばかりだから。いっそのこと、居ない方が良いのかなぁ…。
「…チビ。」
 どこか力なく項垂れて、物思いにふける彼に気づいたのだろう連れの一人が、その鋭い目許を眇めると。黄昏の中に影も濃い、道程の途中の物陰へ。小さな肩を引っ掴んだまま、素早く連れ込んで、

  「覚悟を決めな。」

 壁へと肩を押しつけて、逃さぬようにと構えた上で。セナへと突きつけられた、低く掠れた蛭魔の声は、だが。叱咤するよな言いようには似つかわしくない、それは柔らかな響きをしており。
「昨日の今日なんだしな。進は、お前にとっては唯一の気持ちの支えでもあったんだろうから。ただでさえ気の小さいお前のこった、心臓が躍り上がったまま、降りて来ないような気分のままなのも、無理ないことかも知れないが。」
 いつもならば進さんが、肩越しに振り返った先やすぐ傍らにいて下さったのに。頼もしくて、いつだって自分を理解して下さり、何に替えてもと守って下さっていた、その人を…大切な存在をこそ奪われたというこの事態にあっては。すっかりと怯えきり、いつ失神したっておかしくないほどに緊張しまくり、立っているのもやっとという状態に違いない、と。覗き込んだ幼いお顔、そっと髪を撫でたその手へ伝わった震えへさえ、宥めるような眼差しを向けてやった蛭魔は、だが、

  「進を助け出したいんだろ?
   人任せにしないで自分でも頑張ると、
   そうと決めたから、それで此処へだって来たんだろうが。」

 ただ待ってるだなんて、居ても立っても居られなくって…というのは。他でもない、セナ本人の口から出た言葉だ。
「思い出しな。2年前のあの糞邪妖との戦いで、人外相手のしかも直接に、もっと怖い目にだって遭っただろうが。」
 ああ、そうだった。遠くなった、けれど運命のあの日。自分を葬り去るために、王城キングダムを撹乱していたあの邪妖は、様々な姿の化け物を加勢にと呼んでもいて、セナたちへの直接の攻撃に駆り出し、襲い掛からせた。そして、最後のあの泉での対峙にあっては、
“進さんが…。”
 セナのすぐ目の前で、その命の灯火を摘み取られてしまった白い騎士であり。あの時だけは…そのまま自分の魂までもがこの身から毟り取られてしまったかのような、それはそれは痛い想いがし、意識が真っ白にスパークして、何も判らなくなってしまったセナだった。
「お前にすりゃあ随分と気丈になって、勇気を奮って動き回ってるのは認める。だがな、健気にも一途にもってだけじゃあダメなんだ。」
 叱っている訳じゃあない。恐らくは、一番苦手な言い諭し。一方的にぶつけるのではなく、どうやったら伝えられるかなと言葉を選んでくれている。自分はこんな風に怯まない人だのに、

  「覚悟を決めな。そうすりゃ却って落ち着ける。」

 進のこと、取り返すんだ助け出すんだって強く思ったのはホントだろ? どっちかしか選べなくてとか、そんな“でも・しか”じゃなかったろ? 逢いたくて取り戻したくて、それで思い立った正直な気持ちだろうが。

  「…はい。」

 問われて頷いたセナ王子へ、

  「だったら。その決心を忘れんな。」

 項垂れかかる頭へと手のひらを置き、ぐしゃぐしゃと掻き回してやりながら、
「何もいきなり豪腕の力持ちになれとは言わん。火炎の咒弾を連発できるようになれとも言わん。無事に守られていてくれるのだって、こちとらにはある意味で快感だったり励みだったりするのだからな。そんな、今にも死にそうな、居心地が悪いって顔をするんじゃねぇよ。」
「…っ。」
 はっと顔を上げたのへ、
「それこそ、勝手なことを言うなってトコだろうがな。それじゃあお前はどうしたい? 誰ぞの助けになりたいと、庇われすとも済むほどの、そうまでの力がほしいと思ったのだろう?」
「………はい。」
 どうして、この人は。こんなにも闊達で、およそセナとも進とも似つかない、自信家で過激でとことん前向きな人なのに。どうして、セナの思っていたことを。本人にも…形になってはいなかったがため、掴めず もどかしかったその想いを、こんなにも鮮明にしてくれるのか。
「だったら…力がない今は我慢しな。その我慢が、胸が潰れそうなほどの辛い我慢こそが、今のお前への試練だと思え。その上で、腹ァくくって覚悟を決めな。」
 弱さを嘆いて ずたずたな心から、残酷かも知れないが、それでも目を逸らすなと。言ってくれた人。何よりも…そんなお前だってことを知っているからと。サイテーな自分を、サイテーだと憤ってたことを。嘆くばかりではなく、身を割きたいとする怒りまでもを、ちゃんと知っているからと、それを抱いたまま前へ進めと背中を叩いてくれた人。

  「進を助け出したいんだろ?」
  「はいっ。」

 思いやりがあって利他的な王子様は、されど…それが嵩じてか、引っ込み思案で及び腰。そんな彼の初めての勇気を、初めての意欲を、頼もしく思った。自分の誇りの強靭さからすれば、まだまだ芽生えたての“それ”だけど、間違いなく自発的に現れたものなだけに、擽ったくも嬉しく思った。だから。だったら、俺が好きにさせてやるからと。その勇気、絶対萎えさせるなと。言いはしなかったが十分に伝わるお顔で、にんまりと笑ってやった蛭魔であり。

  “カナリアさんだから、なのかな。”

 人の気持ちを慮(おもんばか)るだなんて、出来る出来ない以前に、そういう対処があるということすら思いつかないんじゃないかと思われるような。何をやらせても右に出る者はないだろう乱暴者が、そんなにも細やかに、セナの想いを洞察し、その上で…きっちりと論を尽くして叱咤した。きついかも知れないが、彼が彼の気の済むやり方として、待つのではなく動くことを選んだのだから、それを最後まで遂行しろと言ってのけた魔導師さんへ、

  “褒めてやるべきなんだろけどもな…。”

 桜庭としては。その優しくも徹底して行き届いた配慮に苦笑が洩れる。進のことが誰よりも心配なのは本当だろうが、その前に。まだまだ恐怖心は立ち去らず、体だって竦んだままなセナだというのも、これまた明白で。だったらいっそ、此処は大人しく待っていろと言い諭し、安全な場に押し込めて、強力な封印でも架しておいた方が、実を言えばこっちとしては手っ取り早くて楽なのにね。それに、進は駒としては切り捨ててもいいと、はっきり断言したのに、こうやって…彼が攫われたことへのヒント探しに、自ら足を運んでいたりする蛭魔であり。
“光の公主や、あのグロックスたらいう砂時計を奪いに来たと言っていたのだから。”
 近いうちにまた現れるのだろう連中を、準備万端整えて待ち構えていてもいいものを。一刻も早い解決をと言いつつ、あくまでもセナの気持ちを優先してやりたくて。ちょっぴりひねくれた優しさを、苦労も手間も惜しまずに注ぎ続けてやっている彼であり。ちょっと見には単なる厳しい叱咤に見せながら、その実はこうまでの心くばりをしてやる彼に、そうまで懐ろ深い人物になってくれたのが嬉しい反面、

  “相変わらずにセナくん中心なんだもんね。”

 そんな素晴らしき素養が、このところは。小さな公主様に関する場合にばかり発動されているのが、ちょこっと。そういう存在だと、相性なんだと判っていながらも、妬けちゃいもするらしい桜庭さんだったりするらしい…って。気持ちは判るが、そんな場合じゃないでしょが、おい。
(苦笑)











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  *こちらもまた、物凄いカメちゃんの歩みでございますが。
   年内には終わらないかもですね、うんうん。
(こらこら)